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それは「だれの」ためか?2023.10.13

先日、こんな相談を受けました。

「もう身の回りのことはできると思うんですけど、部屋も掃除もせず汚くて提出物も出さないし水筒も出さないし…この前部屋の掃除をした時にマットレスの下からたくさんゴミが出てきてびっくりしました。この子が大丈夫かどうか心配で・・・」

・・・学生自分もよく言われてたので、とっても耳が痛い話だなぁと思いつつ聞かせていただきました。きっとこのブログを読んでいただいている方にも同じような経験をされた方もおられるのではないでしょうか?

学生自分の僕と相談をしていただいた方の子どもさんを重ねた時に、シンプルに思いました。

「本人は困ってないんだろうなぁ。」と。

なぜならば、多少イヤゴトを言われても結局「親がやってくれる」と思っていたからです。

「親がやってくれる」ということは、自分には何もダメージがない・・・つまり「困らない」から、やらなくて良い・やる必要がないという価値観や環境が常態化しているということになります。

その常態化の期間が長ければ長いほど、本人がやらないといけない局面に遭遇してできなかったあるいは・・・そもそもやり方を知らなかった時にその本人あるいは本人を取り巻く人達から「何もできない」レッテルの対象者にリストアップが始まっているのではないでしょうか?

・・・ではどうすることが望ましいのか?

「もう身の回りのことはできると思うんですけど・・・」

冒頭での一言。これが大きな鍵になってきます。

「もう身の回りのことはできると思うんですけど・・・」なのであれば、ただただ本人にやってもらう。まず、やってもらう。ただ、できないこともあると思います。できない理由としては次の3点くらいではないでしょうか?

1.やったことがない→ ①やり方がわからない

          ➁できるけど、うまくできるかどうか?心配や不安がある。

2.めんどくさい→ ①だいたい何をするか?はしっているけれど煩雑なのでどこから手を着けていいかわからない。

        ➁今目の前にある楽しいことを優先したい。

3.しんどい→   ①体力的にしんどい ➁精神的にしんどい

この3点のうちのどれか?かあるいは複合的な理由なのか?は様々ありますが、まずやってほしい動作や作業があるのであれば、ここをまずは本人と話をすることで一緒に整理していく必要があるように思いますし、一緒に整理し納得してもらうことで「めんどくさいことを押し付けられてる」「なんで僕(私)がやらないといけないの!」「親なんだからお母さん(お父さん)がやれば良い」といういわゆる「他責」な気持ちを多く持たれなくなりにくくなると考えています。そして、ここまでできたらあともう一息!

「もう十分できるくらい、いろんな力を身に付けて大人になろうとしていることを知っているよ。」

「お母さん(お父さん)はその応援をしたいから、やってみてほしい。」

つまり、「あなたはいつまでも『子ども』のままではなく大人に向かって成長をし続けている。」「そのために毎日、頑張っていることを受け止め認め、これからも応援しているよ。」という応援メッセージです。

こうして文章化するととても理想的な設定に見えブログを読んでいただいている方々の中には「実際そんなことない!」と思われる方もおられるでしょう。そして、そうだとも思いますし、いろんな方に相談もされてきたことと思います。

今日書かせていただいた内容は、非常に表層的な部分なのでこれまでいろんな方法を試したけれどうまくいかなかった方は、ぜひお話やコメントをいただけたらと思いますので、よろしくお願いします。